朝起きた瞬間から帰りたい

朝起きた瞬間から帰りたい

くう、ねる、あそぶ、はたらく

合格発表は友達と行くもんじゃない

今週のお題「試験の思い出」について。

それよりまず先に、あけましておめでとうございます!!!!!(おっそ)
年末年始はここ数年定番の大晦日にスシロー行って、元旦は近所の映画館で「ブラックナイトパレード」を見て、あとはガスト行ったりゆず庵行ったりコンビニでスイーツ買って食べたり、地味オブ地味な生活をしていたよ!(食べてる割合エグ)
特別なことは何もしないという贅沢。

そんな年末年始を過ごしていた訳だけど、話を戻して「試験の思い出」ということで、高校受験の思い出を書こうと思う。書き出したらなんだか長くなってしまったから先にお詫びしとく。(誰に)


私の中学時代の成績は、テストでいつも学年の真ん中よりちょっと上あたりをうろうろしてるみたいな可もなく不可もなく超普通な感じ。
理数系が壊滅的なのを国語社会でカバー、英語は無難な点数でなんとか成り立ってるような内訳でお送りしてたのに、自宅学習なんて塾の宿題とテスト前の一夜漬けくらいだったから、あろうことか中3の1学期にランクを1つ落としてしまったわけですよ。受験シーズンに由々しき事態。

ちなみに志望校はとっくに決まってて、そこ以外に行くなんて考えたことなかったんだけど、合格ラインのちょうど境目にいたのにランクが1つ下がったもんだからさぁ大変。

自業自得だけどあの時はさすがに教室のカーテンに包まって号泣したし、男友達に笑いながらなぐさめられたんだよな。思い出した。青春。


ってことで、やっと火がついて中3の夏から本格的に受験勉強を始める訳なんだけど、これがまぁなかなか思うようにいかず。
中3の後期に学力テストABCってあったと思うんだけど、あれって内申点には関係ないからランクに良くも悪くも影響しないとは言え、自分のレベルを思い知らされる非常にメンタルやられるテストだし例に漏れず病んだ。

その流れで気づけば三者面談の時期がやってきて、志望校は推薦入試があったからそれを受けたかったけど、当然担任に「難しいです」と却下され、志望校の変更まで打診される始末。「一般で受けるので志望校変えるつもりありません!!!(半ギレ)」と言い放って終了。
提案された高校の願書、結局最後の最後まで一度も封筒から出すことなく捨てたっけなぁ。

で、時は流れてまずは滑り止めの私立入試の日。
受験者数が多くて地元の市民センターみたいなところで受けたんだけど、会場が極寒だった上に滑り止めとはいえ万が一本命に落ちて私立も落ちたら路頭に迷うと15歳なりに思ってしまった結果、極度の緊張で強烈な吐き気と震えに襲われながら受験した思い出。
生まれて初めて人生の分岐点に立ってる自覚をしてプレッシャーに押しつぶされそうになった。(無事合格した)


そしていよいよ本命の志望校受験の日。
『受験当日の朝に食べた梅干しのタネをティッシュに包んで、制服のポケットに入れて受験すると合格する』というどこで仕入れたか分からない謎すぎるおまじないを信じて、しっかり梅干しのタネをポケットに忍ばせて受験に挑んだ私。(ピュアかよ)

座席の前後が同じ学校の子だったのと、一度私立で受験の雰囲気を経験していたのが大きくて、割と落ち着いて受験できたのよねぇ。やっぱり経験って大事。

試験を終えて塾に着いた頃には体動かしてないのに何故か満身創痍だったけど、実は自己採点を終えた時点でこれはもしや...?とやや確信めいたものがあったんだよね。

何故なら苦手な数学は撃沈だったものの、それ以外の科目が大健闘だったおかげで合格に必要な点数を確か上回っていて、なんなら自己採点ではあるものの過去最高得点を叩き出してて、自分で言うのもなんだけど私って本番に強いのでは???と柄にもなく自惚れてしまったよ。

そして運命の合格発表日。
無事サクラは咲いた...が、共に受験した友人の番号が見当たらず、しかも我が家の車に乗って一緒に見に行ったもんだから帰りの車内の地獄たるや(白目)

他校を受験した友人達から続々とおめでたいメールが届く中、隣でこの世の終わりみたいな雰囲気の友人には当然なんて言葉をかけて良いかわからず、ひたすら携帯の画面を見つめることしかできなかった15の春。


合格発表は友達と見に行くもんじゃねぇ。
あの時に戻れるなら私は真っ先に自分にそう声をかけたい。